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2012年7月6日金曜日

官邸前に立っていた

5月に日本の稼動原発がゼロになり、
「夏はまた節電だなぁ」「今年は西の方がたいへんそうだなぁ」
なんてことを他人事のように考えていた。
“脱原発”が世界の主流であり、経済的トレンドでもあり、
時計の針を戻せないように、この時流は揺るぎないものだと思った。

ただ、このままの状態で、原発がなくなってしまうなんていうような
甘い幻想を抱いたわけではなかったが、
まさか、これほどなりふりかまわず、
杜撰で拙速な手続で事が進むとは思いもしなかった。
多くの選挙民の注目を集めているこの問題について、
政治家がそんな愚かな判断を下すなんて信じられなかった。
なんという暴挙。
しかも「国民の生活を守るため」だなんて、ヌケヌケとぬかしよった。
これを聞いた瞬間、静かに沸々と腹の中で煮えたぎる怒りを感じた。
それと同時にたまらない絶望感、虚脱感に襲われる。
もう、この国はダメなのかもしれない、と。


首相官邸前で毎週金曜日に抗議行動が行われていることは、
ツイッターを通じて知っていた。
そして、そのことが正しく報道されていないことで、
マスコミに対する不信感が募っていった。
実は、何週間か前にも、いたたまれない気持ちを抱えて
国会議事堂前の駅まで行ったこともある。
正しく伝わってこない現実をこの目で確かめたいという思いが強かった。
でも、このときは、どうしても最後の踏ん切りがつかず、
そのままUターンして、家に帰ってしまったのだが。

なぜ、踏ん切りがつかなかったかというと、
集団というか、群れることが苦手で、怒号のような大きい声も苦手。
その近くを通ることさえ敬遠したいくらいなのだ。
だから、デモのような行為に自分が参加する日がくるとは、
まったく思いもよらなかった。


6月29日午後6時過ぎ。
丸の内線の国会議事堂前で下車すると、
すでに改札のところまで人が溢れていた。
「NO NUKES」あるいは「再稼動反対」と書かれた
ポスターやプラカードを持っている人も多かったが、
私のように何も持っていない人が半数以上。
ベビーカーで来ている若いお母さんや、
ご高齢の親御さんと一緒に来られてる方もいた。
まったく何も政治的な統一性のない、ただの市民が集まっていた。

私がここに来たのは、国の権力者たちに対して
「あなた達のやり方には納得出来ない」と表明するためだ。
何にでも唯々諾々と従うような愚民ではないことを
態度で示さなければならないと思ったからだ。
言葉にして言われなくても察するというような、
日本人的美徳が通用する相手ではないことを思い知ったから。

とにかく人、人、人。
どこまで歩いていっても途切れることのないほど多くの人達が
「サイカドー ハンタイ!」のシュプレヒコールをあげている。
その光景は壮観で、単純な私はそれだけで感動してしまう。
私も小さな声で「サイカドー ハンタイ」と呟いてみた。
でも、続けられなかった。
何かが胸にこみ上げてきて、口を開くと嗚咽しそうになったから。
まだ絶望するには早すぎる、こんなに多くの仲間がいるじゃないか。
これだけ大きな声をあげれば、総理にも届くんじゃないか。
政治も動くんじゃないか。世界は変えられんじゃないか。
そんな希望の光を見た気がして、胸がいっぱいになってしまったのだ。

少し時間がたって、気持ちも落ち着いた頃、
もう一度「サイカドーハンタイ」と声を出してみた。
太鼓を叩いたり、拡声器を使って先導してくれる人がいて、
リズムにのって、歌うように「サイカドーハンタイ」と発すると、
まるで、ロックンロールのコール&レスポンスのようで、
不謹慎かもしれないが、ちょっと楽しくなってくる。
かなり気分が高揚していたんだな。

でもね。
そのコールを先導する人が
「サイカドー ハンタイ」「ゲンパツ イラナイ」と同じ調子で、
「ノダコソ ヤメロ」と言うのを聞いて、ハッとした。
それは言いたくない、と思ったのだ。
そういう個人名を出して攻撃するような発言には躊躇してしまう。
心の中では、国民の期待を裏切った愚かな政治家め!とは思っていても、
こういう抗議の場で、感情的で攻撃的な言葉を吐くことには、
何か違和感を感じる。

これも一種の群衆心理なのだろうか。
自分がすごいことを成しているような幻想。
こちらが絶対の正義なのだ、という妄信。
危うくそういう罠に陥ってしまうところだったことに気付いた。

この抗議行動の中に自分の身を置いてみて、
声を上げることは大事だと思ったし、大勢の人から発せられるパワーで
何かが変わるんじゃないという微かな希望も得られた。
でも、熱いだけじゃダメなんだ。
冷静になって、遠くまでじっくりと見渡す目を失ってはいけない。
自分が立っている場所を見失ってはいけない。
焦ってはいけない。
世の中は、そんなに簡単に変わるものではない。

これから先も、デモや抗議行動に参加することはあると思うが、
そのことに陶酔してしまわないスタンスでいたい。
ときには大きな声を出すことも必要かもしれないが、
声の大きさや動員の多さだけでは、本当の変革は訪れないだろう。

大切なのは、考え続けること。
「アイツが悪い」と誰かを責めて、思考停止してしまわないこと。

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