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2013年1月15日火曜日

20年目の真実

3連休の最終日。
関東地方は昼頃から想定外の大雪が降り、家の前の道も、
あれよあれよ、という間に真っ白になってしまった。
この調子で降り続けば、雪に弱い首都圏の交通網が
麻痺するのは間違いないので、出かける予定をキャンセルして、
家に引き篭もっていることにした。

本を読むか、音楽を聴くか、昼寝をするか。
そのくらいしか、家の中での過ごし方のバリエーションはない。
・・・はずなのに、なぜか、珍しく、テレビを見てしまった。

ヒーローたちの壮絶人生「大人になった君たちへ 尾崎豊20年目の真実」

まったくの偶然で、ザッピング中に目に止まって、
そのまま見入ってしまった。

胸が痛んだ。


とくに、尾崎ファンだったわけではないけれど、
一番多感な年頃、今よりも音楽に興味津々だった頃に
華々しくデビューした彼の存在が、目に入らないわけがない。

ちょうど中学3年生の卒業を控えていたときに、
シングルの『卒業』が発売されて、このPVが
やたらと音楽番組で流されていたのを憶えている。
もう、洗脳されそうな勢いの猛プッシュだった。

とくに私が早熟だったとは思わない。
たいていの14,5歳というのは、精神的に不安定だけれど、
大人が考えているよりはずっと、成熟していて、
世の中の大人たちを冷徹に見下している、ということを知っている。
自分自身を無敵だと感じたり、最低だと感じたりしながら、
己の中にいる猛獣を飼いならそうと必死なっているのだ。

そんな日々の中で聴いた尾崎の歌に、
最初は、少しはシンパシーを感じたりもした。
でも、聴けば聴くほど、苛立たしい気分になっていった。
彼の感じていることは、よくわかる。
でも、それをストレートに言葉にして歌っている彼の姿を見ると、
心がザワザワと波立って、なんとも言えず、腹立たしくなったのだ。

それは、複雑な感情。
強く惹かれるのと同時に、強い嫌悪感を抱いていた。
自分の中にもある、見たくない部分を突きつけてくるような
強引で傲慢なものを感じたのだ。

番組の中で箭内さんが「大好きな日と大嫌いな日がある」
と語っていたけれど、まったくその通りだと思った。

若くして才能を開花させ、成功したアーティストの苦悩が
痛々しく伝わってくる番組の内容で、
いろんな秘話も、ぜんぜん意外ではなく、
私の中の尾崎像そのままの人だったんだなぁ・・・と感じた。

この番組を見ている間中、苦しくて、せつなくて、
やっぱりその青臭さが腹立たしくて、涙が出た。
なんで、私は、こんなに尾崎に感情移入してしまうのだろう?
ファンではないけれど、
あまり認めたくないけれど、
影響を受けていたことは、間違いないんだろうなぁ。


そして、この番組を見終わった今も、
私は尾崎のことが好きにはなれないままである。

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