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2015年1月22日木曜日

徒然なるままに~ Stayin' Alive ~ A面

ただいまヘビロテ中なのは、もちろんフラカンの新譜。

Stayin' Alive



一聴した途端に「大好き!」・・・とはならなかったのだけれど、
音楽を咀嚼するのに時間がかかるタイプの人間なので、仕方ない。
というか、フラカンの場合、繰り返し聴いて、考えて、また聴く。
この消化する過程が愛しいのであるよ。
ライブで聴くようになると、また印象も変わってくるし、
じっくりと時間をかけて味わっていこうと思っとります。

この新譜を聴いてると、いろんな思いが湧いてくる。
そのへんのことをダラダラと書いてみたい。
ちょっぴりレビューっぽいテイストも入ってくるけど、
あくまで私の脳内百景を綴ったものなので、ご了承下さい。



short hopes
ギターのリフと緊張感のある鍵盤がカッコいいなぁ、と聴いていると、
圭介の歌う言葉が三人称であることに驚かされる。
ついに圭介が自分の中から飛び出した視点で描くようになったのか・・・と
とても感慨深い一曲。

本人いわく「ロバート・アルトマンの群像劇のイメージ」だとか。
そうか、アルトマンか。
それで、すぐに思いついたのが「ショートカッツ」だった。
ヒューイ・ルイスが立ち小便するシーンがいまだに忘れられないのだが、
それ以外はさっぱり思い出せなかった。
群像劇って、キャスティングが華やかでテンポよくて見やすいのだが、
ストーリーが散漫になってしまって、印象に残らないんだよねぇ。
一時期、この手法が流行って、やたらとこの手の映画が多かったような気がする。
最後にカエルが降ってきた映画があったけど、あれは何だったっけ?


地下室
最初にライブで聴いてから、ずっと「大事なものは自分の中にはない」という
言葉の意味を量りあぐねていたのだ。
歌詞カードを読んでも、その真意を掴むことはできなかった。
ライナーノーツを読んで、このアルバム全体を繰り返し聴くことによって、
やっと、おぼろげに理解できたような気がした。
それは、つまり、鈴木圭介がオトナになったのだということだろう。
30歳を過ぎても、40歳を過ぎても、ずっと中年中学生であり
ハタチ族であるという精神構造だった圭介。
自分の周囲半径30センチというミニマムな世界の中で、
自分という人間の中身を最深部までどんどん掘り下げて、
突き詰めた結果の答えが「大事なものは自分の中にはない」ということ。
言いかえれば「大事なものは自分の外にある」ということだ。
他者との係わりようや、自分の外部である世界との向き合い方の中にこそ
大事なものがあるのではないだろうか。
少なくとも私は、そう感じている。とくに最近。


星に見離された男
イントロで「イエスかっ!?」と突っ込んだのは、私一人じゃないよね。
サビでは、クイーンみたいなロックオペラになってるし・・・面白い。
こういうのがフラカンらしい、ってことなんだろうな。
早くライブで聴きたいわ~。

最初に就職した会社の先輩諸氏にロック通の人が多く、
私も一緒になって聴いていたなぁ。懐かしい。
プログレとか聴くと、なんか高尚な感じがして、
私もオトナになったなぁ、なんて思ったものだ。
そういう感覚自体が子供っぽいものなんだけどね。
当時仲良くしてくれた、先輩のY崎さん、お元気だろうか?
一緒にボン・ジョビやクラプトンを観に行ったよな~。
あっ、ポール・ウェラーのNHKホールも一緒に行ったっけ・・・。
あっ、PSYCHEDELIXも・・・。


死に際のメロディー
これ好きだ。
私好みのフラカンらしい地味曲だ。
なにやら物騒なタイトルがついてるけれど、
中身はじわっとくる、いつもの圭介節で少しホッとする。
年をとるってことは・・・最期のときが近付いてるわけで、
“死”というものが射程距離に入ったという感覚が
このアルバム全体に満ちているのは、圭介らしいといえるだろう。

地味曲といえば、竹安のギターソロが冴えてると相場が決まっとる。
けど、このアルバムは、ギターソロのカッコいい曲が豊作なので、
あんまり目立たないかも。


東京の朝
イントロからAメロにかけてのコード感が、フラカンには珍しい感じ。
朝の澄んだ空気のような綺麗なメロディーがせつない。



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