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2011年7月8日金曜日

YES,FUTURE

目下、ライブレポをガリガリと書いております。
もうちょっと、かかりそうなんだけど。


さっきフラカンのブログを見たら、なんかヘンな風が吹いてた。
えっ?
昨日の圭介の歌が、何か物議をかもしてるのか?
ちょっと、ビックリして、
なんだかやりきれない気持ちになってしまった。

だから、今現在の私の思ってることを
ここでぶちまけけてやる。
後で見返して、イヤになって記事を削除してしまうかもしれないけど。

まず、昨日のライブで圭介が歌ったことを説明。
『大人の子守唄』で「どうして大人には原発が要るんだろう~」
『YES,FUTURE』で「頭を丸めて~節電しろ~」
あと、曲前の煽りで「発電するかー?」みたいなこと言ってたっけ?
それくらいかな。

これで、引く人がいるのかぁ・・・。

私はこれを聴いて、心の中で快哉を叫んだよ。
痛快だった。

原発のこと。
もう、避けて通ることはできないだろうな。
ラブ&ピースを歌うのと、同じレベルか、
現在、東日本で暮らしてる人にとっては、それよりももっと切実で
逼迫した問題かもしれない。

私個人の思いとしては、反原発です。
明日、世界中の原発がなくなるならば、こんないいことはない、
と思ってます。
あんなモンスターみたいなやつが、世界中にいると思うだけで、
息苦しくなるこがあります。
でも、今すぐどうにかなる問題でないことも十分承知してるので、
少しずつでも、世界がいい方向に変わることを願うだけの
ただのオバサンなのです。

圭介はアーティストなんだから、
イヤなものはイヤって言えばいい。
オカシイと思えば、それオカシイよ、と言えばいい。
それでいい。
もちろん、メンバーだって、圭介のその才能に惚れてるわけで、
なんらかのしがらみによって、圭介が思考することが阻まれたり、
表現すことが不自由になったりすることを望むわけがない。
例えそれが、自分個人の思想とズレてたとしても、だ。

たぶん、メンバーだけじゃなくて、多くのファンだって
こう思ってるんじゃないだろうか。

アーティスト=表現者 が生み出すものは、
私達、それを見たり聴いたりするものに感動を与える。
その感動は、それを作り出した者の手を離れたところで生じている。
しかし、私達は、それを作り出した手に思いを馳せ、
その手をも愛するだろう。
その手の持ち主がどんな思想の持ち主であろうと、
愛さずにはいられないだろう。

なんだか、勢いにまかせて書いてしまったので、文章にまとまりがない。
支離滅裂もいいところだ。

だけど、ちょっとスッキリした。

2 件のコメント:

  1. 圭介のブログときっかけになった方のコメントを読みました。
    100人いれば100通りの意見や考え方があるのは当然の事で、何が正しくて何が間違っているのかなんて誰も判断出来ません。
    nemuriさんの意見も知ることが出来て良かった。
    ちゃんと文章まとまっていますよ!

    私は・・・もちろん原発なんてなければないに越したことはないと思っています。
    ただ、ライブは自分にとって心と体だけで楽しめる非日常の時間なので、出来れば難しいことは何も考えずに楽しみたいです。「大人の子守唄」は大好きな曲なのに、ちょっと心が後ずさりしたのも事実です。

    あっ、でもこれからも通い続けますよ。フラカンに人生を捧げる宣言しちゃいましたから。
    こう見えても一度好きになってしまうと絶対に嫌いにはなれない情の深い女なもので・・。

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  2. >りーさん
    コメントありがとうございます。
    考えがまとまらないまま、素の感情を吐き出すように書いてしまったものを真面目に読んで下さって感謝します。
    本当は、しばらく晒したら記事を削除してしまおうかと思ったのですが、せっかく、りーさんがコメントを下さったので、このまま晒し続けることに決めました。

    そうですか・・・、りーさんも、ちょっと腰が引けてしまいましたか。
    たしかに「原発」という一語には、ドキッとさせられますよね。
    この言葉が出てきただけで、何もかも、途端にしんどくなってしまう。
    たかが素人のこのブログでさえ、「原発」と書いた途端、その重さに打ちひしがれそうになりました。
    りーさんも、自分の好きな歌で、こういう言葉を使われてしまって、ショックだったでしょうね。

    私は、圭介の覚悟が伝わってきたような気がしたので「よしっ!」と思ったのです。
    圭介的原発本ブームの中で、ひとつの答え(本当は答えなんてないのですが)が出せたのかな、と。
    「原発」とのスタンスの取り方、その方向が決まったんじゃないでしょうか?
    そして、その答えは、「原発反対」とか「原発とめろ!」ではなくて、「どうして原発が必要なんだろう?」という“投げかけ”であるということだと、私は理解しました。
    もちろん私の勝手な想像に過ぎませんが。

    なんだか長々と言い訳めいたことを書いてしまいましたが、真面目に読んで下さってる人に対して、真面目に伝えておきたいと思ったので書きました。
    ・・・・・・・あっ、圭介もこんな気持ちだったのかな、と今、気付いてしまった。

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